論文集2

鞭打ち損傷、頸椎捻挫、外傷性頸部症候群、Barre-Lieou症候群


【用語と分類】


「鞭打ち損傷」は、自動車の追突や衝突事故を原因とすることが最も多い、追突事故時の頭部頸椎は、後方への過伸展とそれに続く前方への過屈曲の状態となるが、これが“鞭打ち(whiplash)”にたとえられたものである。
頸椎の過伸展・過屈曲・回旋強制外力によって頸椎椎間板や椎間関節、関節包、周囲の靭帯、筋肉、神経などの軟部組織の損傷が引き起こされ、項頸部痛を主症状とする病態である。

(1) 1995年のケベック鞭打ち症関連障害(whiplash associated disorders:WAD)特別調査団による研究1)によって提唱されている分類はつぎのとおりである。
  Grade 0:頸部痛なし。
  Grade 1:頸部痛のみ。
  Grade 2:頸部痛+頸椎運動制限・圧痛あり。
  Grade 3:頸部痛+神経学的所見(筋力低下・知覚障害・腱反射低下消失)あり。
  Grade 4:頸部痛+骨折・脱臼あり。

  この分類では、後述のBarre-Lieou症候群は記載されておらず、めまいや耳鳴、頭痛などはどのgradeにも表れ得るとするとしている。

(2) 「鞭打ち損傷」は日本では診断名としては不適当であるとされており、代わりに「頸椎捻挫」または「外傷性頸部症候群」が用いられている。このうち、外傷性頸部症候群を頸椎捻挫と同義とするものと、後述のBarre-Lieou症候群と同義に扱うものとに分かれているのが現状である。

(3) 項頸部痛のほかに、頭痛、吐き気、めまい、耳鳴り、眼精疲労などを伴う症例に対しては、頸椎捻挫と区別してBarre-Lieou症候群を診断名とすることが多い。

(4) 筆者は、頸椎捻挫と外傷性頸部症候群を同義とし、かつ総称として用い、症状の程度を表すケベックWAD分類のGrade数値とBarre-Lieou症候群(+または−)を併記することを提唱したい。これは、後述のようにケベックWAD分類のGrade数値とBarre-Lieou症候群の有無が予後に関連しているからである。


【臨床症状と検査】


1.問診
項頸部痛のみなのか、頭痛や吐き気、めまい(Barre-Lieou症候群)を伴うのかが予後を予測するうえで欠かせないポイントである。
受傷機転については、交通事故では被害者・加害者の車種と事故時のスピード、車の損傷の程度、シートベルト着用の有無、頭部外傷の有無、受傷直後の意識喪失の有無、受傷時は頭部回旋位になかったか、についてもチェックする。

2.触診
胸鎖乳突筋を中心として、頸部および肩甲帯部の圧痛を認めることがある。頸椎の前後屈、側屈、回旋運動の可動域制限の有無を調べる。

3.神経学的検査
筋力低下、知覚障害、神経根刺激症状、Spurling徴候、腱反射異常の有無を検査する。検査で異常があればケベックWAD分類でGrade 3以上となる。

4.頸椎単純X線検査
症状がきわめて軽微な場合を除いて、原則としては6ないし7方向(正面、側面中間位・前屈位・後屈位、斜位2方向+正面開口位も)の撮影をする。

5.頸椎MRI検査
初診時に神経学的所見のある場合や、骨折・脱臼を伴う症例では必須である。

6.頭部CTおよびMRI検査
頭痛や吐き気などを伴う症例では行っておくべき検査である。後述の脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)との関連でも、今後、重要視される可能性がある。

7.心理テスト
患者の心理的状態を把握するために、心理テストを行う場合がある。


【治療】


1. 初期治療
(1) 頸椎の安静をはかる。初期症状が軽微でも、受傷後数日内にゴルフ練習などの頸椎に過度の負担を強いる活動を行って急激に疼痛が増悪する例があるので、日常生活指導を行う。頸椎可動域制限を強く認めるものには、頸椎カラーを装着する。ただし、可動域制限の改善があれば、すみやかにカラーから離脱するよう指示する。

(2) 消炎鎮痛剤や筋弛緩剤を投与する。ストレスの強い場合や不眠を訴える場合にはマイナートランキライザーの投与も必要となる。

(3) 可能であれば、できるだけ早期の職場復帰を試みる。

2. 慢性期治療
理学療法、薬剤投与、トリガーポイント注射、神経ブロックを主とした保存療法を第一として行う。
病状の適切な説明(本来、良好な経過をとる自己終息的な“self−limited”疾患であることを患者に理解させる。すなわち、「安心感の保障」を与えること)と生活指導および運動指導をあわせ行う。
外傷性頸部症候群の症例における椎間前方固定の長期予後は半数が無効例であったという報告がある2)。高度の変形性頸椎症や脊柱管狭窄症を合併するもののなかには手術治療を必要とする症例があるが、脊髄麻痺が進行する場合を除いて、事故の係争関係が終結するまで手術を待つべきである。
治療が遷延する場合は、純粋に脊椎外科学的観点からの対応だけでなく、他科の(心療内科学的および脳神経外科学的)アプローチも必要となってくる。重症頭部外傷合併例では、慢性硬膜下血腫の続発や高次脳機能障害の合発についても検討すべきである。


【予後】


病状の長期残存例は下記の症例に多くみられる。

(1)受傷直後の痛みの程度が強い症例3,4)
(2)頭痛、めまい、耳鳴りなどを伴う(Barre-Lieou症候群)症例3,5)
(3)受傷時頭部回旋症例6)
(4)シートベルト非着用症例6)
(5)頭部外傷特に重症頭部外傷(急性硬膜下血腫、外傷性くも膜下出血)を合併した症例
(6)事故加害者および保険会社担当者と被害者の間で適切な人間関係が形成されていない症例


【精神的側面】


事故前の精神科・心療内科受療歴の有無について問診する。
加害者および保険会社担当者と患者との人間関係がうまくいっているか否かも精神状態に影響する。大部分の患者にとって、交通事故に巻き込まれたこと自体が大きな心的ストレスとなっており、うつ状態や不眠をきたすこともある。必要に応じて抗うつ薬やマイナートランキライザーを投与する。事故そのものの恐怖が蘇ったりするPTSD(外傷後ストレス障害)に陥っていないかについて留意する。精神科や心療内科への紹介も考慮する。


【法制・社会的側面】


交通事故による損傷では、患者・医師関係に保険会社・事故加害者が加わるため、医師は補償を含めた保険制度などの複雑な社会法制的問題への対応を迫られる7)。医師が社会法制的問題への対応をなおざりにすると、患者・医師間の信頼関係に悪影響が出る。
日本では、交通事故の補償レベルが低い傾向にあり、保険会社は不当な賠償請求者を排除できる状況にある一方で、正当な事故被害者と家族は自己の苦痛が少しも理解されていないと感じて示談後も悲哀を引きずり、それが医療への不満としてはねかえってくることもある。


【脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)】


Barre-Lieou症候群と分類されてきた、頭痛、頸部痛、背部痛、めまい、吐き気、手足のしびれ、倦怠などの症状を、慢性的髄液漏出による髄液減少を伴う脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)と捉え、治療しようとする概念もある。
起立によって頭痛が増悪することが特徴で、画像診断では、冠状断・矢状断脳MRI(ガドリニウム造影)での硬膜造影効果、硬膜下腔拡大、小脳扁桃下垂などが特徴的所見とされる。また、RI脳槽脊髄髄液腔シンチグラフィーやMRAミエログラフィーなどで髄液漏出像などがみられる。

治療法としては、

(1) 1〜2週間の安静臥床および経口による十分な水分補給を行い、可能ならば入院での治療で電解質輸液による1,500ml/日の水分補給を行う。

(2) これらが無効の場合、硬膜外自己血液注入(ブラッドパッチBP)を行う、というものである。ただし、この「脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)」概念については今後、臨床的検証がさらに加えられなければばらないのが現状である。


【アドバイス】


1.やるべきこと
初期の安静ののちは、早期に元の生活に戻すことを試みる。本来は良好な経過をとる自己終息的な“self−limited”疾患であることを患者に理解させる。

2.やってはいけないこと
その一方で「鞭打ちはたいした病気ではない」とか「精神的な問題です」という類の言葉は事故被害者を傷つける言葉であり、用いるべきではない。

3. コツ
患者との信頼関係を築くこと、社会法制的問題への対応をしっかり行う。

4. 提言
現状の分類と用語の混乱を回避し、意義ある統計資料の作成のために、「頸椎捻挫」と「外傷性頸部症候群」を同義かつ総称として診断名に用い、症状の程度を表すケベックWAD分類のGrade数値とBarre-Lieou症候群(+または−)を併記することを提唱したい。


【文献】


1) Spitzer WO, Skovron ML, Salmi LR, et al:Scientific monogaraph of the Quebec task force on whiplash associated disorders :redefining “whiplash” and its management. Spine 20(8 suppl):2-73, 1995

2) 川上 守, 玉置哲也, 岩橋俊之, 他:外傷性頸部症候群に対する椎間前方固定の成績と意義, MB Orthop 6:33−38, 1993

3)伊藤友一, 大島義彦, 平本典利, 他:交通事故に伴う外傷性頸部症候群の中長期予後調査. 整形外科53:591−596, 2002

4) Sterling M, Jull G, Vicenzine B, et al:Characterization of acute whiplash-associated disorders, Spine 29:182-188, 2004

5) 内山政二, 高橋栄明, 桑原修一, 他:鞭打ち損傷の不定愁訴と治療期間, 東日本臨整会誌 6:428-430, 1994

6) 金山恒治, 小野古志郎, 落合直之, 他:外傷性頸部症候群の症状遷延因子の調査, 日整会誌76:S544, 2002

7) 羽成 守(監), 日本臨床整形外科医会(編):Q&A 交通事故診療ハンドブック, ぎょうせい, 2004, pp29-265


(YASUOKA Shozo 安岡整形外科脳外科クリニック:〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町2-14-8)